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備忘録(追悼上映会)

■以下、備忘録をかねて、読売新聞webの記事を転載させて頂きます。

健さん、秘めた情熱…東映と東宝 追悼上映会 2014年12月04日 08時15分
日本映画の不世出のスター、高倉健さんが11月10日、83歳で世を去った。

今も、その死を悼む声、惜しむ声はやむことがない。自身については多くを語らなかった健さん。内に秘めた演技への情熱や、意外な素顔を、関係者らが明かした。

くやしい幻の「無法松」
◇東映社長時代に「鉄道員ぽっぽや」を製作した東映元会長 高岩淡たんさん 84
健さんとは任侠(にんきょう)映画時代からのつきあい。劇場を一緒に回った時期もあって、大阪・梅田の映画館なんか行くと、夜中の10時過ぎから、お客さんがどーっとくるんですよ。そんな所で、舞台に立った健さんが「網走番外地」を歌うんですけど、素人ですから間違えますよね。そうしたら、「すいません、もういっぺん頭からやり直します」って、初めから歌いなおした。「本当にお客さんにすまなかった」って。その態度は立派ですよ。

1990年7月、日中映画交流の映画祭で一緒に内モンゴルを訪ねた思い出があります。現地の人々が歓迎の席で、私たちのために、「荒城の月」を演奏してくれた。私がお返しに、モンゴルか中国の歌を歌った。すると、健さんが「僕も1曲歌います」って言う。「高岩さんがこんなに一生懸命歌ってるんだから」と、「網走番外地」をやるんですよ。これが素晴らしかった。歌手の歌とは違う。こもった声が、ぐーっと響き渡るんです。モンゴルは(映画「網走番外地」の舞台の)北海道とよく似てますから、場所もよかったんだろうけど、皆、しーんと聴き入っていました。

「東映の俳優の中では、自分は芝居が下手」とあの人は信じてましてね。社長だった岡田(茂)さんに、「高倉は一本気だけど、それしかない」と言われたこともあった。それでも、「芝居なんかどうでもいい、必死になってやれば、意志は通じるんだ」という信念は、人の何倍も強かった。

「鉄道員」の撮影でも、本当に寒い北海道で立ちっぱなしでいる。暖房には絶対あたらない。意固地っていうんじゃなくて、あの人は思いこむんですね。そう思うことで、「演技なんかできない」という自分の不器用さを正そうとしてたんじゃないですか。

僕が社長の時、健さんを主役に「無法松の一生」を映画にできないかと考えたこともあります。また、終戦を経て、モンゴルから日本に戻った軍医が、再びモンゴルで暮らす決意をするという話を、「自分はやってみたい」と話してくれたこともあります。でも、実現できなかった。だから、余計に悲しい。くやしゅうて、くやしゅうて。情けないです。

リアリズムに徹した理由
◇映画評論家、日本映画大学学長 佐藤忠男さん 84
高倉健さんと2人で、4時間以上、じっくり話したことがあります。

2003年のことです。高倉さんは自分の出演作のフィルムをすべて持っていて、それを福岡市総合図書館に寄託しました。その記念上映会で私が講演したのをビデオで見たらしく、「もう少し話を聞かせてほしい」というのです。

東京・高輪のホテルの一室で、2人きりで会いました。高倉さん自身の手でコーヒーをいれてくれたのですが、そのカップが丼のように大きかったのに驚きました。私が話をするはずが、聞き役になり、演技について考えていることなど、熱心に話してくれました。

俳優になるつもりがなかった高倉さんが、演技について初めて悩み、考え抜いたのは、東映入社4年目。内田吐夢監督の「森と湖のまつり」(1958年)だったと言います。アイヌの民族運動を描く映画で、高倉さんの演技に、内田監督は延々とダメ出しの連続。「この手が働く者の手か」などとも言われ、「監督を殴って逃げだそうか」とさえ思ったという。だけど、その経験があってから、演じる役の背景には何があるのか徹底的に考え、リアリズムの演技に向き合うようになったそうです。

東映の任侠映画でスターになった高倉さんは、「仁義なき戦い」(73年)などの実録路線に乗り換えることはありませんでした。高倉さんが演じたのは正義のヤクザというヒーロー。「仁義なき戦い」に正義はありません。高倉さんには似合わないし、観客もそれを求めなかった。

高倉さんが76年に東映を辞めたことは、日本映画に大きな影響を与えることになりました。映画界では歌舞伎などからの伝統で、立派な男や豪傑はラブシーンを演じてはいけなかった。恋愛はもっぱら、甘い顔の二枚目がやるというルールがありました。「男はつらいよ」シリーズの寅さんのように、自分を男の中の男だと思っている人間が恋愛をすると、滑稽になります。だけど、高倉健なら成立するのです。武骨な男がぎこちなく愛情を表す。そこに観客も共感する。山田洋次監督「幸福しあわせの黄色いハンカチ」(77年)に出演したことで、日本映画の近代化を果たしたのだと思います。

近年は数年に1作、本当に「これだ」と思える作品を選んで出演していました。それが後で考えてみると、口数が少なくて武骨な男が、本当の優しさを見せるという、同じような人物になっています。おそらく、高倉さん自身が考える理想の男だったのでしょう。

「部屋中キラキラ」中野良子さん 「エキストラ紹介」石倉三郎さん
「君よ憤怒の河を渉わたれ」や「野性の証明」で共演した女優の中野良子さん(64)は、結婚を発表した時に、深紅のバラの花束を贈られたという。「誰よりも早く、たくさんいただいた。本当に気遣いのすごい人でした」。初めて会ったときは、高倉さんの雰囲気に圧倒された。「部屋中がキラキラしているような。健さんは何も言わず、ただ立っているだけなのに。私も何も言えなくて、お互いに無言のまま、長い間立ちつくしていました。あの人の本当のすごさは、会って初めて分かるものだと思います」

俳優の石倉三郎さん(67)は、この世界に入ったきっかけが高倉さんだった。俳優になりたくて上京したころ、行きつけの喫茶店に高倉さんがいて、話しかけてくれたという。「劇団で勉強していたけれど、月謝が払えなくて辞めざるを得なくなった。ある時、そんな話をしたら、『東映のエキストラだったらギャラが出るぞ』と。芝居の勉強をしてお金をもらえるというので、ありがたい話でした」。高倉さんの「倉」の字をもらって芸名にした。その東映をけんかで出ることになった時の、高倉さんの言葉が忘れられない。「泥沼に足を突っ込んだんだから、首まで突っ込む覚悟でやれ、と。その言葉があるから、今まで役者を続けてこられたんだと思います」

各地で追悼上映会
「スクリーンでもう一度健さんを」というファンの声に応え、追悼上映会も開かれる。

東映は東京の「丸の内TOEI」で、12月6日から6作品を上映する。連日午前10時半から(初日12月6日のみ午前11時から)。

ラインアップは
「網走番外地」(12月6日~12日)
「新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義」(同13日~19日)
「昭和残侠ざんきょう伝 唐獅子牡丹ぼたん」(同20~26日)
「冬の華」(同27日~1月2日)
「動乱」(同3日~9日)
「鉄道員」(同10日~同下旬)。

大阪の「梅田ブルク7」、「T・ジョイ京都」、福岡の「T・ジョイ博多」でも予定している。

東宝は東京の「有楽町スバル座」で12月27日から、6作品を連日3~4回上映する(大みそかのみ2回)。

ラインアップは「駅/STATION」(12月27日~1月2日)
「居酒屋兆治」(同3日~9日)
「夜叉」(同10日~16日)
「あ・うん」(同17日~23日)
「単騎、千里を走る。」(同24日~30日)
「あなたへ」(同31日~2月6日)。

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